戯言遣いになりたい

戯言 なら 良かったのになぁ

合唱コンとかなんとか

合唱コンとかなんとか。 歌の技術が無い私からすると億劫な行事だが、其れでも練習は余程の事が無い限り参加したし、自分なりに考えて何処が苦手か、其処を良くするには如何するべきか、等と考え、その時その時で1番適切だと思われる行動を取ってきたつもりだ。「つもり」である。

 

つもり なのだ。全部。

頑張っている「つもり」やる事やった「つもり」楽しんでる「つもり」思い込まなければやっていけない。

 

練習のしかたや皆のやる気は素人の私から見ても余り素敵なものとは言い難かった。如何したって仕方の無い事だろう。強制的に作られた団体には何時だっている人達だ。

しかし何だって協調性を乱すのかとわたしはやりきれなかった。独り好きで団体行動嫌いなわたしだけれど何故、何故其処で自分勝手に成るんだと苛立った。皆が少しずつ協力すると出来上がるモノだから頑張るとか立派な考えは残念、持ち合わせていないが、これは学校行事だ、決まったものだ、抗えないのだ、結果やらないという選択肢はないのだ。何故其処で私ではなくわたしで居られるんだ、凄い人だな、と。

 わたしは縛り過ぎなのか。自由を取りたがり過ぎなのか。我慢してるからさせて良いなんて誰も言ってないのに、自由な人を見ると如何しても悲しいのだ。わからない。調和が好き過ぎて個人の感情を気にすることが上手く出来ない。酷い、酷い。別に私は頑張ってない。頑張っていたら私はブログを書く間も惜しんで勉強なり手伝いなりをしている筈だ。私は何をしていて、わたしは何に成りたいのか。人生の河を流れているなら海は何色なのか。今はそれが解らず怖くて無理矢理流れを遅くしている様な気がする。

 

明日も頑張る。頑張っている「つもり」にしかなれないから、貴方は頑張っていないと言われてしまったら其れ迄だし自己主張してまで頑張っているアピールをするつもりもないけれど、頑張る意思だけは、意志だけは、私の中から引っ張り出すから。わたしは蹲ったままだけれど、いつかは動けるようになるのだろうか。