戯言遣いになりたい

戯言 なら 良かったのになぁ

生きて

いつからか幸せを望まなくなっていた。
反省は出来ないけど後悔はどうしたって逃れられなかった。
考え事をする度に自分が酷く矮小な人間に思えてきて、その矮小な人間であることを他人に悟られたくなくて、何も考えてない人のように振る舞い、馬鹿でいよう、馬鹿でいようとそればかり考えた。
多分わたしは、幸せになったことを後悔したくなかったのだろう。幸せのあとに見た嫌なもので辛くなりたくなくて、幸せ自体拒んで、辛くない、辛くない、と言い聞かせて来たのだ。洗脳の如く。
苦しむことは許されないと思っていたのだ。辛い顔を見られることは許されないと思っていたのだ。悲しみを悟られてはいけないと思っていたのだ。これは駄目、これも駄目、ああ、それも駄目。私たちは無意識に自分を縛っているのだろう。他人に縛られて自分を縛るようになるとは、滑稽な気もする。諧謔的とは言うまい。

ああ、残念な世界。でももっと残念なのは、絶対にわたしだ。

苦しむことは悪いことではないらしい、或人は言った。悩むのは良いこと、或人は言った。考えて考えて見つけた答えが正しいかなんて知らない、そこにあるのは正義とか善悪とかそんな格好いいもんじゃない。ただ、人の意思 人の意志 それだけなのだろう。
生きるなら 悩め苦しめ その先に 耐える手段を 見うるか知れず