戯言遣いになりたい

戯言 なら 良かったのになぁ

支離滅裂な夢の話

人によっちゃあ今夜の夢を見始める時間になってしまったが、昨晩の夢が中々変わったものだった。興味深いので、支離滅裂で起承転結は全く無くおまけに飛び飛びだが、書き起こしてみる。


同世代らしき、知った顔知らない顔が沢山、30人程。と、知らない顔の教師らしき男。その団体は舗装された緩やかな山道を登る。着いた先は地方の会館と古い病棟を足して2で割ったような、何だか夜を過ごしたくない建物。

場面は飛んで、辛い思いをしながら階段を登る私がいた。建物は先程と一緒だが、辺りに人は一人もいない。階段、廊下、階段、階段、廊下。何故か苦しい。辛い。訳もわからず動き続ける。
散々登って着いたのは2階だった。沢山ある、会議室のようなドア。確固たる意思を持ってひとつの部屋に入った。
一緒にいた団体の半分、十数名程がベッドに横たわっていた。教師(ということにする)もいた。皆同じような土色の顔をして、酷く気分が悪そうである。何の理由も無く彼等は低体温と私はわかっていた。
教師は私に向かい、
「小林君の病気が移ってしまったようだ」
と言った。小林君って誰だ。
そして
「今皆でタミフルを飲むところだ」
と。タミフルはインフルエンザのときに使うものでは。

場面が飛んだのか否かはわからないが、私もベッドに横たわっていた。しかし元気な状態である。
強制的に薬を飲まされた。タミフルだろうか。しかし黄色いゼリー状だった。
部屋から出ることは許されていないようだ。感染症故に隔離、とのことらしい。では私も直ぐ感染する、と思ったのだが、ずっとピンピンしていた。

ベッド上から瞬間移動をしたのか、どこにあるのかわからない冷蔵庫を急に開けた。中は冷蔵庫の温度なのにアイスがきちんと冷凍されて入っていた。私は何も食べなかった。隣にいた友人がチョコレートアイスバーを食べていた。それを眺めていて、
私は何の前触れも無く倒れた。
目が覚めた。

意味がわからない。意味がわからない。意味がわからない。
これは悪夢だろうか。少なくとも見ている最中は悪夢以外の何でもなかった。目が覚めて5分間くらいしてから、面白くなった。

迷子の夢をよく見る。心がどうやら迷子のようだ。今回私の心理はどうなっていたのだろうか。

戯言で蓋をする

行き着きたいのは何処だろうとか、そんな風にやんわりと未来を考えていたあの頃からどう退化したのか、過去の心的外傷が頭に纏わり付いて離れない人間に成り下がっていた。

あぁ、あの頃はああで、どうせこれからもそうで、今だってああだ、きっとこうだ。煩い、煩い、煩いんだよごちゃごちゃ。黙っておくれよ。そうたしなめるのは私でたしなめられるのはわたしで、でも両方餓鬼のまま、未熟だ。未熟でどうしようもなく莫迦で愚かで、だからこんなことを延々と考えている。本来するべきことを蹴落としてまで掴んだ物は何だろうか。 退化し続けてそれでも尚、けらけらと愚かなことを繰り返しているのだ。得るものなどきっと、無いのだ。蛇口を失くしてしまってあるのは排水口ばかりで、空っぽの空洞に近づき続けるのだ。

独りで居たい。踏み込んで来ないで欲しい。わたしは決めた人にしか内側に入ることを許さない。私の陽気そうな表情だけを見ていて欲しい。何だってわたしの哀しく陳腐な言葉遊びを解った気になって、手を差し伸べて助けた気になって、話すだけで解り合った気になっているのだと叫びたい。公害にならないようにそうしないだけなのだ。だが、勝手に達成感を得ている彼等彼女等も心の何処で何を思っているかわからないのだ。それは誰にもわからない。

私にはわたししか居ないから、他の誰も居なくて、如何したって私とわたしの共依存だ。

 

やっぱり何者かになりたい。出来れば戯言遣いに。

 

嘘っぱちの世界で嘘を吐き続けて灰になって廃れていく私から目を逸らしていて欲しい。知る権利も無いような世界の下に生まれたんだ。消えてしまいたくても、やらなければいけないことはやらなければいけないからやる、正しいとか間違ってるとか関係無く、ヒトが決めたことを守らなければならないような世界だ。心の中で苦しむことくらい、許してはくれないか。私の感情には抑制ボタンしかないんだ、心の中に北風が吹き荒んでガタガタと音を立てても良いじゃないか。耳栓を着けてどうか聴こえぬフリをしてはくれないか。聞かせたくない聴かせたくない、怖い恐ろしい、本音なんて絶対何処か汚いものなのだ。だったら戯言で生きていても良い筈だ。汚い音なんか誰も喜ばないのだから。

何処かで話したがっている。何処かで叫びたがっている。何処かで泣きたがっている。何処かで苦しんでいる。何処かで痛がっている。でも、

 

自分には結局、自分しかいない。

 

戯言の戯言が一周回って泣き言になってしまわぬようにとなけなしの語彙を弄くり回している。

合唱コンとかなんとか

合唱コンとかなんとか。 歌の技術が無い私からすると億劫な行事だが、其れでも練習は余程の事が無い限り参加したし、自分なりに考えて何処が苦手か、其処を良くするには如何するべきか、等と考え、その時その時で1番適切だと思われる行動を取ってきたつもりだ。「つもり」である。

 

つもり なのだ。全部。

頑張っている「つもり」やる事やった「つもり」楽しんでる「つもり」思い込まなければやっていけない。

 

練習のしかたや皆のやる気は素人の私から見ても余り素敵なものとは言い難かった。如何したって仕方の無い事だろう。強制的に作られた団体には何時だっている人達だ。

しかし何だって協調性を乱すのかとわたしはやりきれなかった。独り好きで団体行動嫌いなわたしだけれど何故、何故其処で自分勝手に成るんだと苛立った。皆が少しずつ協力すると出来上がるモノだから頑張るとか立派な考えは残念、持ち合わせていないが、これは学校行事だ、決まったものだ、抗えないのだ、結果やらないという選択肢はないのだ。何故其処で私ではなくわたしで居られるんだ、凄い人だな、と。

 わたしは縛り過ぎなのか。自由を取りたがり過ぎなのか。我慢してるからさせて良いなんて誰も言ってないのに、自由な人を見ると如何しても悲しいのだ。わからない。調和が好き過ぎて個人の感情を気にすることが上手く出来ない。酷い、酷い。別に私は頑張ってない。頑張っていたら私はブログを書く間も惜しんで勉強なり手伝いなりをしている筈だ。私は何をしていて、わたしは何に成りたいのか。人生の河を流れているなら海は何色なのか。今はそれが解らず怖くて無理矢理流れを遅くしている様な気がする。

 

明日も頑張る。頑張っている「つもり」にしかなれないから、貴方は頑張っていないと言われてしまったら其れ迄だし自己主張してまで頑張っているアピールをするつもりもないけれど、頑張る意思だけは、意志だけは、私の中から引っ張り出すから。わたしは蹲ったままだけれど、いつかは動けるようになるのだろうか。

 

寂しさ

全て戯言。なら、救われたのかも知れないが、誰にもわからないのだ。

わたしは世界が嫌いだ。世界を、此の世を、憎んでやる。矮小な塵屑は全てを嫌っている。このわたしは。

人間である資格すら無いのでは、という位には残念な人間だったわたし。死んでしまいたいわたし。独りが怖いから独りでいようとするわたし。お気楽に悩み続けるわたし。全部のわたしが世界を憎みきっていて、私は其れを丁寧にオブラートに包んで飲み下した。隠してやろう、って思った。

わたしは強がって私に成ろうとした。へらへらと笑い何も考えてないかのように振る舞い、心の内ではそんな惨めな自分を嗤い、でも1人はすきなんだと言って独りに走った。寂しいけれど、考えるのをやめてしまうのがとても怖くて、大勢で我を忘れることなど出来なかった。それで私とわたしがいた、寂しくないようにと。誰かと居るとわたしは依存してしまいかねないから、居なければ良い、孤独は其れで良い。何だって良い。

寂しさを幾年かぶりに再認識したのはつい先日のことで、或る人が私じゃなくてわたしのこともちらちらと見ていてくれたとかいう些細な事が原因だった。其れに気付けたのは恐らく、良い事なのだろう。独りは寒い。何故気付かなかったのだろうか。わたしも、私も、寂しいし苦しい。今も昔もきっと未来も変わらない。しかしそれは何かを成そうと多勢で居ようと解消される訳でもなく、只々わたしが私の力を借りずに背負うべきモノなのだろう。

私一人ては何も出来ないけれども、せめてわたしのことで迷惑をかけないように、其れだけでも背負えるように、強くなる。

生きて

いつからか幸せを望まなくなっていた。
反省は出来ないけど後悔はどうしたって逃れられなかった。
考え事をする度に自分が酷く矮小な人間に思えてきて、その矮小な人間であることを他人に悟られたくなくて、何も考えてない人のように振る舞い、馬鹿でいよう、馬鹿でいようとそればかり考えた。
多分わたしは、幸せになったことを後悔したくなかったのだろう。幸せのあとに見た嫌なもので辛くなりたくなくて、幸せ自体拒んで、辛くない、辛くない、と言い聞かせて来たのだ。洗脳の如く。
苦しむことは許されないと思っていたのだ。辛い顔を見られることは許されないと思っていたのだ。悲しみを悟られてはいけないと思っていたのだ。これは駄目、これも駄目、ああ、それも駄目。私たちは無意識に自分を縛っているのだろう。他人に縛られて自分を縛るようになるとは、滑稽な気もする。諧謔的とは言うまい。

ああ、残念な世界。でももっと残念なのは、絶対にわたしだ。

苦しむことは悪いことではないらしい、或人は言った。悩むのは良いこと、或人は言った。考えて考えて見つけた答えが正しいかなんて知らない、そこにあるのは正義とか善悪とかそんな格好いいもんじゃない。ただ、人の意思 人の意志 それだけなのだろう。
生きるなら 悩め苦しめ その先に 耐える手段を 見うるか知れず